お金のこと

自分のしたことを忘れて他人を批判する、両親を見て思うこと。

話題になっている3年A組と、
それを受けてのはるかぜちゃん(春名風花ちゃん)のブログでの言及、
私も共感する部分が多く、そして胸が痛む部分もあり、

https://lineblog.me/harukazechan/archives/1563558.html

まず私は、
人を仲間はずれにしたこともあるし、
自分も仲間はずれにされたこともあるし、
親の愛情を感じたこともあれば、
親から「娘と思ってない」と言われたこともある。

偉そうなことを言えないけど、
どっちのことも忘れず、
そっち側に振り回されず、
もう、そっち側に回らず生きたいと思う。

今、私の思うことを残しておこうと思います。

両親が他人のお金の使い方を批判してて衝撃を受ける

私の両親がお金にだらしないことは、
以前も書いてはきましたが、、

奨学金の繰り上げ返済(返還)をしてよかったと思うこと。 この画像は、実際に私が奨学金の返済を終えたとき、 機関から送られてきた、奨学金返還完了通知。 このときの気持ち、忘れたく...
8000円のケーキで感じる両親との金銭感覚の違い8000円のホールケーキと聞いて、 どう思いますか? ...

今はもうモメない(ようにするために私が諦めた)けど、
娘の給食費や教材費を滞納したり、
専門学校の学費も放棄して娘が払うのを当たり前にしたり、
その上奨学金も家に入れるように命じたり、
さらにはもう無理と断ったら
「あんたがお金出してくれなかったら怖いところに借りるしかないの、、」
と目の前で泣かれたり、
そういう親です、ざっくり。

両親の好きなところもたくさんあります、
でも、お金に関しては全く駄目です。

基本的に自分でなんとかするとか予算を立てるとか反省することかはなく、
「なんとかなる」
「金は天下のまわりもの」
「なければ周りにもらえばいい」
というタイプ。

だから、両親は自分たちの両親から吸い上げるだけ吸い上げて、
それが限界に達したとき、
次は娘たちから吸い上げる、そういう人。

ある意味才能だと思うようになりました。
だって結局周りがなんとか助けてくれるんだから。

自分たちがすっからかんなのに、
「困っている人のためになるから」
と、娘たちのお金をユニセフとかの募金に回したり、
なんというか、、
たしかに困っている人たちのことを助けるのは立派だけど、
私もできれば力になりたい、けど、

身近な人を助ける前にすることなのか?
という疑問を、小学生の当時、
教材費の引き落としができなくて呼び出されていた私は、思いました。

だから私は、
応援したい人や物は、
自己犠牲ではなく、できる範囲ですることを重視しています。

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両親のお金のおかしな話は、
ちょっとここでは言えない色んなことがもっとありますが。。

最近だと、ちょっとある人が、
お金をちゃんと入れないとか、
健康保険料払えず入ってないとかそういう事情にあり、
それに対して両親が、

健康保険なんてライフラインなのにありえない!とか、
だったら休まずもっと働けとか、
お金の使い方が下手だとか、
最低限これだけ稼いで貯金をしないとどうのとか、
そういうことを大真面目な顔して語っていて、

え、、?

と、私も話題のツイートと同様、
あごがはずれました。

ちゃんちゃらおかしい
とは、このことだなぁと、、

自分のしたことを省みないし、
他人にはとことん厳しい。

思考経路がもう、駄目なんだと思います。

さっきのあごはずれる両親の会話に、
「いやいや、自分たちもそうじゃん!」
と言ったとしましょう。
「あんたはいつも自分が正しいと思って!やな子!」
で、また終了です、自分が傷ついて終わるだけ。

だから私は何も言わず、
感情をひねりつぶして、やりすごすわけです。

もう、やめたので。
説得する価値のない人間とやりあうのは。

でも、絶対に許すこともなければ、
理解することもなければ、
もちろん肯定もしません。

ただ、あなたはそういう考えなのね。
私はこうだけど、と、
自分の信念は貫き通すだけ。

そして別の世界の生き物だと、線を引くのです。

これを、自分はこう思うのに!とか、
こうやって考えるべきなのに!とかを押し付けても、
それでなびくようなら、こういう人格にはそもそもならない。

だから、ネットで、匿名で、人をザクザク刺すような人を、
どうにかすることも、かなしいけど無理と思うわけです。

だからこそ、そういう人のせいで、
傷ついてやる必要なんかないし、
まして、自分を責めたり、「自分をやめる」ことなんか、
絶対しなくていい。

わかり合う必要もないし、
わかってもらう必要もない。

できるのは、そんなものと共存せず、
それ以外の世界がちゃんとあることを知って、
自分の世界を生きること。
自分の世界の仲間と生きることです。

どうか、ずるくて汚い得体の知れないそんな刃に、
切られないでほしいし、
切れらないでいたい。

他人は、変えようとしても変わりません。
他人が変わるときは、自分自身で気づけたときだけです。

だから、過去に「そっち側」だった人でも、
その後、分かれるわけです。

気づいて変わった人、
気づきもせずずっと変わらない人。

私はだめなところもいっぱいあったし、
今も、これからもあるかもしれないけど、
気づけた事実があるから、
忘れないでいたい。

両親があれだけ悪びれず他人を批判するのは、
少したりとも「自分もそう」とは思っていないから。

おそろしいけど、
だから、いじわるや仲間はずれはなくならない。

そういう人たちは、
ぜんぶ自分が正しくて、
ぜんぶ周りが間違ってると思ってるから。

そうじゃない人たちは、
そういう人たちに自分を否定されて、
自分が間違ってるって思うから、
だから、いつだって苦しむのは優しい人だ。

優しさを捨てたり忘れたりしてそっち側に行くのか、
優しさを捨てず忘れずこっち側でふんばるのか、
いろんな選択肢はあるけど、
何かの拍子で、変わってしまうこともあり。

優しい人は、自分に優しくあれないことが多い。

優しい人よ、
優しくする必要のない人に優しくする前に、
どうか自分に一番優しくしてほしい。

両親もドラマや人の話には涙するのに、娘には応用しない

そういう両親は、
ドラマやドキュメンタリーや、人様の家族に対して、
とってもとっても優しいし、涙もろい。

私はそういう姿を、冷たい目で見てしまう。

どういうつもりで感動しているの?
どういうつもりで泣いているの?

あなたが涙しているテレビの中のその子と、
あなたの目の前にいるあなたの娘は、
同じ思いで苦しんでいるのに?

あなたのせいで苦しんでいるのに?

その心に、
「私も娘に同じことをしてしまっている」
なんて思いはないのをよく分かっている。

だからこんなに冷たい気持ちなんだ。

いくらドラマで感動的なお話があっても、
自分に置き換えて考えれば世の中よくなりそうでも、
これで世界が変わるかもって思っても、
そうならないのが全ての答えだ。

それはそれだし、これはこれ。

ドラマはドラマで、現実は現実。

高校生だったか専門学校生だったかの頃、
私はバイト代を家に入れる要員のように感じておかしくなり、
「私は働く機械なの?」
と母に声を裏返らせながら叫んだことがある。

母は、鼻で笑って言った。

「ドラマの見過ぎ」

現実とはこのことで、
ドラマを真摯に楽しみ感動し明日に生かす人と、
ドラマを非現実の「感動に感動する自分」に酔う人がいる。

結果、娘の悲痛な叫びは届くどころか嘲笑われて終わった。

心がぼうっと折れて消えた。

今、両親と楽しく過ごせるのは、
理解し合ったからでもなく、
両親が変わったからでもない。

両親をそういう生き物だと認識し、
両親に伝えたい思いは届かないものとし、
両親にとって都合のいい娘であることで、
家族を保っているだけだ。

何度も言うが、
それでも100%嫌いになれず縁も切れないのは、
それでもやっぱり自分の親だ、と自分で思うから。

だからこそ辛く、
だからこそ悲しく、
それでもやっぱり愛は残っている。

今後それが消えたときは、
本当にさよならをする覚悟でいるが、
今、そういう気持ちはない。

両親のために生きるでもなく、
両親と共に生きるでもなく、
両親を変えるでもなく、
自分を生きているから、だ。

そういう視界を持てるようになったから、
今の私は前より強いしめげないし、きっと優しい。

両親と笑って過ごす自分も、嘘じゃない。

自分に酔う人は放っておいて、自分を悔やみ今後に生かす人であれ

自分の人生をちゃんと見ず、
ドラマに逃避したり酔ったりしてる人は放っておく。

自分の胸に響いたことは、
自分の人生に活かしていけばいい。

チクリと心が痛んだり悔やむときには、
そう気づけたことを受け止めて、
またチクとしないように生きればいい。

ドラマを通して自分に気づける人もいるし、
ドラマを通して自分を錯覚する人もいる。

ドラマで人生が変わる人もいるし、
ドラマで人生が変わったフリをする人もいる。

感動したというのなら、
その感動を自分の人生に生かしてよと思う。

ドラマの悪役を批判しながら、
現実で「自分はヒーローだ」と誰かを傷つけるなんて、
どうかしている、けど、
それはそれ、これはこれ、
あれはいいけど、お前は駄目、
そういう人が多い、多すぎる。

それは当たり前と言えば当たり前で、
ダイエットの方法を知っていても、
肥満な人が減らないのと同じで、
「痩せたけいど食べちゃう」
みたいなものなのかもしれない。

いじわるするのがいいことだって、
ほんとは誰も思ってなかったはずなのに。

なんでしちゃうのか。

しちゃう理由まで考えないと、
方法や理屈だけ知ってても、意味がない。

みんなが優しい世界をすぐに手に入れるのは難しいかもしれないけど、
自分が優しい世界は、自分が優しくなれば手に入る。

それに気付きやすくしてくれてるのがドラマのはずなのに、
どうしてか、そこでいきなり「ドラマと現実」を切り離す。

さっきの感動、どこに置いてきぼりにしたの、、

とにかく自分は、自分の味方でいよう

考えだすときりがない話だけど、、

いじわるされても、
悪口言われても、
否定されても、
批判されても、
それが全てじゃない、絶対。

それをしてきた人が正しいのか?
それを信じるのか?

自分が信じるものは自分で決めていい。

自分が、自分の一番の味方でいることだけは、譲らないこと。

誰かにひどいこと言われても、

「嫌われた自分」
「いらない自分」
「駄目な自分」

と自分を責めるんじゃなく、
その意見が全てじゃないことを忘れない。

自分の価値と結びつけず、
あくまでその人の「個人の言葉」として切り離す。

「あの人は自分が嫌いらしい」
「あの人にとってはいらないらしい」
「あの人にとっては駄目らしい」

そうすることで、
「自分で自分のことを全否定する」を避けられる。

30年くらい生きて、
やっと、そう考えられたし、
今もやっぱり凹むし落ち込むし悲しむけど、
そういう自分の感情も否定しないことで、
だんだんと、同じ言葉も、違ってとらえられるようになった。

みんなを愛さなくていいし、
みんなに愛されなくていい。

でもそれは、
みんなを傷つけていいことでもなければ、
みんなに傷つけられていいことでもない。

愛したいし、
愛されたいけど、

自分でうまく調整するのが難しい。

愛せなくても、
愛されなくても、
それでも自分だよなぁと思いながら、
生きたいなぁと思う。

両親のことも、
駄目な人たちだなぁと思うけど、
愛せなくても、愛せても、
愛されなくても、愛されていても、
私は生きる。

みんな、自分を生きてれば、
他人をとやかく言う暇なんてない気がするのにね。

構ってしまうし、構ってほしいんだろうなぁ。

自分で自分をまず構おう。
自分を生きよう。
人を攻撃するより、ずっと幸せだと思う。

自分のドラマは、自分を主人公にしよう。
他人を攻撃してる間は、他人が主役だ。
自分の人生なのに、もったいない!

では、今日もここまでお読みいただき、
ありがとうございます。

 

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ABOUT ME
まなき
ミニマリストの途中。服飾専門学校卒でアパレル業界勤務経験アリ。洋服のお手入れ、お直し、心や部屋のお掃除の話など徒然。

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