すっかり掃除メインで書き進めていましたが、
片付けの話や心の整理等、
書きたいことは多岐に渡ります。
今日は、片付けのことを少し。
捨てられない→片付けに目覚めた
捨てる発想より、溜め込む発想でずっと生きてきたので、
モノで溢れているのが当たり前な感じで。
本当、ちっとも捨てられませんでした。
でも、どよどよした重い空気が漂っている部屋に嫌気がさして。
部屋でくつろぎたい!イライラしたくない!という気持ちが勝って、
片付けを決意しました。
かれこれ2年以上は格闘しているんですが、、
いまだに手放せないモノもありますが、
それでも、かれこれ少なくとも400点以上は手放したと記憶しています。
洋服、紙モノ、雑貨、本、布、思い出の品、、
一つ一つ手に取りながら、
もともと好きではなかったモノもたくさんあったし、
かつて大切だったり、思い入れがあるモノもありました。
一つ一つと向き合うのは、
想像以上に大変なことでした。
罪悪感も感じたし、
思い出が蘇って苦しくなったり、
たくさんの人の顔が浮かんだり。
それでも、少しずつ、確実に、モノは減ってきています。
捨てることは、自分の失敗と向き合うこと
捨てることって、本当にしんどい。
痛いほど実感しました。
それはそれは大変で苦しいことなので、
向き合うのが嫌で、
モノを捨てることができない方も多いのではないでしょうか。
私はそうでした。
嫌なこと、面倒なこと、直視したくないことは、
見ないフリ、先延ばし、隠してしまう、
そうやって生きていました。
今でもそんなところがまだあります。
その失敗と向き合うということは、
自分の失敗を「認める」ということ。
自分の失敗を受け入れた上で、
もう繰り返さない、
あるいは、繰り返さない工夫や努力ができるようになる、
ということ。
ここでうまく向き合えないと、
単なる罪悪感で苦しいだけだったり、
また同じことを繰り返したり、
失敗が、失敗でしかなくなります。
これでは、それこそ「もったいない」です。
捨てる過程で失敗を粗末にしなければ、得られるモノ
モノを捨てられない人が、
モノを捨てるとき、
それはそれは辛いです。
モノを捨てるという辛い道を通るとき、
辛い、辛い、、
でも、気持ちがスッと軽くなるようなら、
自分の失敗も、受け入れられた証拠。
失敗を粗末にしなければ、
結果的に、得ることが多いです。
これは、捨てないとわからないこと。
捨てたらこわいから捨てない、なら、
一生分からないこと。
捨てないと見えない世界がある。
「モノを捨てること=モノを粗末にすること」
というのは、ちょっと違うと考えています。
むしろ、捨てないことで粗末にしていること、ないですか?
自分を粗末にしていませんか?
周りの人を粗末にしていませんか?
捨てられないものがあっても、
もちろんいいんです。
本当に捨てられない、
捨てたくない、
大切なモノであれば、
それは捨てなくていいんです。
向き合うことが大事。
例え紙一枚でも。
繰り返していくうちに、
自分を大切にできるようになって。
周りを大切にできるようになって。
「今」を大切にできるようになって。
「今」に感謝できるようになって。
その先にあるのは、自分にとっての幸せ、です。
それは何よりの収穫!!
まとめ
私がモノの片づけをしようとしたとき、
モノを捨てる行為そのものではなく、
心の片付けが何より大切、と感じました。
自分と向き合うことができて、
今までの自分を受け入れることができて、
初めて片付けができると思うのです。
捨てられなくて苦しい方には、
「捨てても大丈夫!」
「捨てて得られることはたくさんある!」
ということを、知ってほしいです。
私もまだまだ、片付けの途中、ミニマリストの途中。
なぜ片付けを始めたか、
どうやって進めたか、
それがもたらしたことは何か。
それらは私にとって、とても意味のあること。
心とお部屋の片付けは、
まだこれからも続きそうですが、
その過程で学んだことや、得られたことが、
同じように悩んでいる方の手助けになれば本望です。
では、今日もここまでお読みいただき、
ありがとうございます!!